ふと思い出したのだけど、
20年ほど前、実家に行く度、母が私に
「写真を撮って」
と言うようになった。
当時、母は今の私と同じような年齢。
どこにも出かけないから、写真を撮る機会がない。
ひいては、来るべき日に備えてまともな写真を準備しておきたい。
…ということらしい。
『遺影』にする写真を撮っておきたいということなのだ。
実家の仏間には、故人の写真が3枚。
祖父母と父なのだが、いずれの遺影も
「コレ、いつのだよ?」
というような写真である。
とにかく若い。
加えて、あからさまに
『合成しました』的な写真である。
それも、今のような高度な技術を駆使していないものだから不自然極まりない。
このような写真の中に、同じような自分の写真を飾られるのが耐えられないのだろう。
撮ってあげましたとも。
でも、幸か不幸か、まだその写真は使ってない。
そんなことをふと思い出し、
そういえば、自分も遺影にするような写真がないことに気がついた。
旅先で撮ったものは多々あるのだが、遺影にするにはちょっと…。
ということで、先日久しぶりに自撮りしてみた。
うわあああああ(((o(*゚△゚*)o)))
今のスマホ、やたら性能が良くて画像がくっきりスッキリ鮮やかなんだよね。
誰!?コレ。
もしかしてコレ、ワ・タ・シ?
私ってこんなん?
…そんな感じである。
『40歳過ぎたら自分の顔に責任を持て』
40はとうに過ぎたけど、通り越し過ぎて自信なんかまるでないわ。
実際、素の顔をじーーーっと見つめていると、そっくりなんだ。
亡くなった姉と母に。
注:母はまだ生きてる。
年をとるってこういうことだな。
本当にそっくりだから嫌になる。
こんなはずではなかったのに。
世に美魔女という、ちょっと不自然な女性が存在する。
高い化粧品や高級食材、エステサロンやスポーツジムなどで日々努力を惜しまず、若さと美貌を保っている女性達だ。
私には時間は売るほどあるが、お金はない。
いかにお金をかけず、苦労なく、速やかに美しくなれるのだろうか。。。
ムリだな。
だからテレビで見るような美魔女になろうなどとは1㍉も思わないのだが、
あそこまでは行かずとも、普通に健康的な顔でいたかったな。
現実はもう病的に顔色が悪いし、全体的に重力に負けてる。
若い頃のツケが回ってきたのだろうな。
まあ、しょうがない。これが現実である。
しかたがない…と思いつつ、
ここで諦めたらとんでもない写真を使われそう。
万が一、私に孫ができたとして、
「おばあちゃん、ぶっ細工~🎶」
などと言われようものなら安心して冥途へ行けないからね。
今の内に何とかしようと思っている。
(勘違いする方がいるといけないので一応言っとく!上の写真は私ではない!!)
今日はこの時期にしては珍しく、朝からすこぶるいい天気。
今から、リビングの窓磨きでも始めようかな。
終わったら写真加工アプリを入れて自撮り写真を磨いてみる。
~今日の一句~
12月 初旬が早くも 終わります