十年一日の如し。
あの日
2011年3月11日14時46分
私は以前の職場
風が吹けば吹き飛びそうなくらいボロっちい平家の事務所で仕事をしていた。
部屋にはもう1人事務の女性。
ピシッ!
建物のどこかで音が聞こえたと思ったら
ゆっくりゆーっくりと横揺れが始まった。
またいつもの地震だね〜くらいの気持ちで
特に慌てることもなくそのまま仕事を続けていた。
が
一向に揺れが収まる気配がない。
前に座る女性が私に言った。
「だんごさん(外に)出ましょう」
先にも書いたように事務所はオンボロボロで
例え建物が倒壊しても、そこから自力で這い出る自信が私にはあった😁が
とりあえず外へ緊急避難したのだった。
外はぽわ〜っんと生ぬるい空気だった。
普通ならコレを春先のポカポカ陽気と言うのだろうけど
揺れのせいかその生暖かさが不気味に感じられた。
「震度6くらい?」
「直下型?」
「停電したら困るよね」
そんな話をしていた。
震源地は東北?福島?
ふーん。
津波?
へえー。
津波襲来のニュースを見ても尚まだ実感がなく
対岸の火事的に見ていた気がする。
ふと
家族のことが気になったが、携帯電話は既に繋がらなくなっていた。
その日夫は関東方面へ。
子ども達は…
あれ?
上2人の記憶が全くない!
連絡を取ろうとはしたのだろうが、全く覚えてない!
心配してなかったわけではない!…と思う。
覚えてるのは娘の事。
当時高校2年生、当然その時間は学校にいる。
とりあえずショートメールを送信するが未送信メッセージが戻ってくるだけだった。
学校だし、みんなと一緒だし、新潟市だし〜と
それほど心配はしていなかった。
が
電車が止まった。
迎えに行こうにも連絡が取れない。
さて、どうやって帰って来るのだろう😨
娘の事だから
なんとか自力で帰って来るだろうと確信はしていたものの
やはりほんの少しだけ不安も感じた。
夜8時を過ぎた頃、家の前にクルマが止まった。
「じゃーねーありがとー!バイバーイ」
…と元気な声。
友達のお爺さんの車で送ってもらってのご帰還だった。
大きな災害が起こるたび
あれを準備しておこう
コレを備蓄しておこう
と思う。
思うのだけど、今の我が家には
水も乾電池もラジオも懐中電灯も何もない。
喉元過ぎれば…である。
ダメダメだな。
〜今日の一句〜
10年を 経ても未だに 会えぬ人
行方不明者未だ2525人