先日
久しぶりに友人から電話をもらった。
数ヶ月前に
階段から落ちて肋骨2本骨折した友人。
4人の子どもの母親で
一番下の子が2歳の時に
ご主人を病気で亡くした友人だ。
もう10年以上は会っていない。
年賀状と暑中見舞い
そして時々のメール交換だけ。
その結びには必ず
「近いうちに会いたいね」
と添えられているが
誘うでもなし
誘われるでもなし。。。
直接(電話だけど)話をするのは
本当に久し振りだった。
内容は
入院が続いていた夫のお見舞いと世間話。
20年前
ご主人を闘病の末に見送っている彼女の言葉は深い。
「無理をさせるな」
「大事にしろ」
の言葉が実に重く感じられた。
うん。
そうだね。
本当にそうだね。
夫の話題がひとしきり済むと
次は怒涛の世間話が始まった。
女性の電話は長い。
この私も
若い頃は1時間や2時間
平気で喋りまくっていた。
もちろん当時は携帯などなく固定電話。
夜
玄関の片隅で
電気を消して延々話し込んでいた。
最初の内は
静かに話しているのだが
興に乗ってくるとどんどんエキサイトして
笑い声も徐々に大きくなる。
ふと気がつくと背後に父親が…。
さて
彼女のところ
4人の子ども達の誰ひとり
結婚の予定はないそうだ。
それどころか全員自宅暮らしとな。
おお!
ウチと同じ!!
変なところで安心してしまった。
子どものこと
母親のこと
仕事のこと
自身の体調
共通の知人の動向
そして年金の話に花が咲く。
実は彼女
昔は実におとなしくて静かな女の子だった。
それが
61歳という年齢のせいか
はたまた生きてきた環境のせいか
電話の声は極めて明朗快活であった。
次から次へと話題がポンポン飛び出してくる。
えっ?
この人こんなによく喋る人だっけ?
と思った。
対して私。
話し始めて数分後には手元のチラシの裏に
訳の分からない文字やら模様やらを書きなぐり始めた。
聴きながら
相槌を打ちながら
話しながら
書きながら
『私ナニやってんだろう』
と思っていた。
多分
『早く切りたいな』
とも思っていたと思う。
せっかく
私のことを心配して
ご機嫌伺いに電話をかけて来てくれたのに
私ときたら
なんと友達甲斐のない人間なのだろう。
電話を切った後
大いに反省したのは言うまでもない。
思うに私
どうやらお話が苦手になってしまったらしい。
そういえば
前の会社を退職してからしばらくの間
家族以外の誰とも話さず
時には家族とすら話をすることなく
1日を終える日が少なくなかった。
それが実にラクなのだ。
寂しいとか
虚しいとか
そんな感覚は一切なく
ひとりの空間はただただ居心地がいい。
社会性の欠如?
〜今日の一句〜
立て板に 水の如くに 喋りたい