長く生きて来たけど、自分の人生を自分で終わらせようと思ったことは一度もない。
もしそれを実行したとして、残された人が少なからず苦しむだろうことは容易に想像できる。
周りの人を苦しめたくないし、痛いとか苦しいのはイヤだから。
『いじめた方は忘れるけど、いじめられた方は生涯忘れない(忘れられない)』
とよく言われる。
子どもの世界は結構残酷で、いじめに遭った時に、それに抵抗できる子どもならいいのだが、大半は何もいえず、傷の上に傷を重ね、行き着く所は人間不信。
それでもまだ未来を見つめられる子はいいが、現実はそうでない子も少なくはない。
しかも、加害者とされる側にその自覚がないことも大いに有り得るのだ。
いつも
👧🏻「いじめられた」
と訴えてくる子がいる。
はたで聞いていると、実に他愛のない話であるが、本人にとってそれは耐え難いいじめ。
かたや相手方は、そんなつもりはないから寝耳に水。
とりあえず教員が間に入るのだが、双方納得して和解…というのはまず有り得ない。
だって一方はいじめの自覚がないのだから。
そしてここに親が出てくると一層ややこしくなる。
世の中には変な親がいて、いじめたとされる子どもの家に夫婦で乗り込んで行く親がいる。
警察案件とも言えるような大立ち回りがつい先日もあったばかりだ😱コワッ!
我が子可愛さと思うが、親がこれではね。
『いじめられる方にも問題がある』
というのもよく聞くセリフ。
しかし
問題がある人ならいじめてもいいのか?
無視してもいいのか?
殴っていいのか?
たかがいじめ、されどいじめ。
たった3文字の平仮名が刃となって心臓に突き刺さることもあるのだ。
子ども達をそばで見ていて、今も昔も人間関係は難しいとつくづく思うのである。
数日前に若い男性タレントが亡くなった。
その後すぐに一部の芸能人達が待ってました!とばかりに吠え始めた。
亡くなった彼に批判コメントをしていた一般人を逆批判し始めたのだが、こうなってから一斉に声を挙げるって、どうなのでしょうね。
しかも亡くなった原因がネットの誹謗中傷だと限定しているあたり、浅はか過ぎてイヤになる。
あぁ
人生結構いいこともあるんだけどなぁ。
ねえ。。。