今朝のテレビでは感染者数16,870人、死者数361人と伝えていた。
そして中国本土のみならず他国でも感染者が激増、死者も出ている。
日本では武漢からの帰国者のお世話をしていた男性職員が謎の自殺。
帰国者の不満やストレスを一身に受けていたとか、いなかったとか。
これが真実ならば本当に気の毒な話だ。
最初は、
中国武漢の魚市場から発生した単なる感染症だと言われていたはず。
それが今や世界中を震撼させている。
でも、
実はインフルエンザより致死率の低い感染症なのだそうだ。
それならば発生当初より、
『春節だから』
と、うかれてあちこち出歩くことをせず、感染拡大を防ぐ対処をするべきだったのだ。
モラルの問題だ。
今朝のテレビでは、
マスクをしていないがために無理やり電車を降ろされる男性、
発車間際の電車で警察官から1枚のマスクを渡される女性、←美談になっていた。
そして亡くなった方のご遺体を袋に入れて、マイクロバスに安置、←8体のご遺体
等々、近代社会のそれとは凡そかけ離れた光景を映し出していた。
そして
父親の遺体を前に、泣き叫ぶ男性の姿が。。。。。
最近私は『泣く』という行為にとんとご無沙汰である。
泣くような状況にない…ということもあるのだが、
正直、この騒動における中国の方の感情の豊かさには辟易している。
あのように人前で泣きわめくという行為に、私は嫌悪感すら覚えるのである。
自分にとって大切な人が瀕死の状況にいる時、
残念ながら闘病虚しく亡くなってしまった時、
少なくとも私は、病人や遺体に取りすがって泣きわめく日本人を見たことがない。
いや100歩譲ってテレビドラマの中でなら見たことがある。
そんな程度だ。
私の経験が少なすぎるせいなのかもしれないが、
失礼を承知で言うと、
『あんな泣き方しなくてもいいだろう』
と思ってしまうのである。
中国、韓国には泣き女という文化があるそうだ。
人目をはばからず、
なりふり構わず、
感情の赴くまま、
わき目もふらず泣き叫ぶことは、彼らにとってはごく普通のことで、長い年月培ってきた国民性というものなのだろう。
彼らの文化がいけないと言っているわけではない。
私がイヤなだけだ。
単にイヤなだけ。
初めて社会人として働いた会社で、私にいろいろ教えてくれた上司(男)がいた。
数年後、彼は転勤で県外に異動することになるのだが、
当時小娘の私は、その異動の報を聞いて、涙が止まらなくなった。
(不倫などしていない。念のため。)
そしたらその上司がひとこと、
『人前で泣くのは自分の親が死んだ時だけ』
その言葉を守っているわけではないが、以来、人前で泣くようなことはほとんどない…かな。
父が亡くなった時、
姉が亡くなった時、
もちろん泣いた。
静かにね。
~今日の一句~
最近は ドライアイゆえ 涙出ず