敬老の日は9月15日のはずだったのに、いつの間にか9月の第3月曜日になっちゃって、毎年日にちが変わるって、どーなの?
『子どもの日』は不動の5月5日
これは『老』より『子』の方を重要視しているってことにならなくないか!?
などと野暮なことを考えるのは、私が老人カテゴリーの人間だからかもね。
我が子達は今のところ結婚の予定なし、ゆえに親になる予定もない。
よって名実ともに私がおばあちゃんになる日は多分やって来ない思われる。
別におばあちゃんにならなくても、子ども達が結婚しなくても、私は一向に構わないのだけどね。
強がりでもなんでもなく。
ここだけの話
実は、ウチの子ども達が結婚し(たく)ないのは、私を見てきたからではないかと分析している。
今、365日家でゴロ寝している夫は、子育て真っ只中の頃、仕事でほとんど家にいなかった。
子育てに関わることは皆無で、たま〜にいいとこ取りで子ども達と付き合っていたという感じ。
ただ当時、私の中には
『男は仕事、女は家と子育て』
という旧態依然とした考え方があり、仕事をする夫には、家のことも町内のことも子ども達のことも心配させまいと、ひとりで頑張ってきたフシがある。
あの時、夫にもう少し頼っていたなら、今のようなズボラな夫にはならなかったと思われる。多分。
そう考えるとちょっと反省する点もあるのだが、イマサラな話はやめとこう。
長男が生まれ、次男が生まれ、長女が生まれ、日々余裕のなさから、長男には随分辛い思いをさせてしまったと思う。
彼には心の中で「ごめん」と何度詫びたことか。
が、道を外れたのは手をかけたつもりの次男の方だった😨
良くない道へどんどん進み行く次男VSなんとか軌道修正しようとする私。
ぶつかり合うことが多かった。
本当にいろいろなことがあったんだ。
高校卒業を目前にして退学したのは、今でこそ笑って振り返ることができるが、当時は次男と差し違える覚悟すら持った。
アイツを殺して私も死ぬ!ってやつね。
大袈裟な…と思われるかもしれないが、そこまでの伏線が本当にいろいろあったので。
このままコイツを生かしたおいたら、将来的に長男と長女に迷惑がかかる。
それは何としても阻止しなければならない。
今考えると茶番だけど、当時は本気でそう考えていた。
そんな私を至近距離で見ていた長男と長女、そして当の本人である次男。
子育てとは、かくも壮絶なるものなのかと思ったことだろう。
ならばこんな修羅場はゴメン被る。
そういう選択なのだろうと思う。
そんなことを思った敬老の日。
まぁお茶でも。