先日、施設から病院へ移った母が一昨日、最期の時を迎える為の病院へ再び移動した。
完全面会禁止の病院であるため、一昨日を以て母とは今生の別れになったと思う。
悲しいとか寂しいとかいう感情が一切湧いてこず、不思議なほど冷静でいる自分に驚いている。
自分の親が飲まず食わず動かず喋らずな状態になった時、それを目の当たりにした子どもは何を思うのだろうか。
どんな状況であれ、カラダだけでもそこにあって欲しいと考えるだろうか。
64年も生きて来た私は
『それは違うな』
と思うのである。
あくまで私の場合は…ね。
転院したことを娘に話したら
「お母さん、悲しくないの?」
…と。
私があまりにも普通に、淡々と伝えたからなのだろう。
一応
「順番だから」
とだけ言っておいた。
以前、うちの家族は『9』という数字に縁がある…ということを書いたことがある。↓↓↓
実はその話には続きがあって、その逆に『8』が私にとってあまり良くない数字である。
父、祖母、姉、私に近いこの3人はいずれも『8』のつく日に亡くなっている。
単なる偶然と言ってしまえばそれまでだが、何かの因縁があるような、ないような…🤫
そして昨日18日。
奇しくも早朝、わん🐶散歩に出たら、東の空は眩しいほど朝焼けが美しく、その反対側には大きな虹が🌈
『あぁ今日だな』
と思った。
一日中そばにスマホを置き、いつ着信があってもすぐ出られるようスタンバイしていた。
午前が終わり、お昼が過ぎ、夕方になっても着信なし。
8時、10時…。
こんなふうに電話が鳴るのを待っている私ってどうなの😓
と思わなくもないのだが。。。
11時を過ぎた頃
『今日は乗り切ったから28日まで大丈夫』
と勝手に解釈し、そのまま就寝したのだった。
こんなことばかり考えてる私は、不謹慎な親不孝者かもね。
でもきっと母は笑ってるはず。
…と、またまた自分勝手に解釈している🤭